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☆ことばの衛生10か条

第1条

第2条

第3条

第4条

第5条

第6条

第7条

第8条

第9条

第10条

 おしゃべりな子に

 よいお手本は正しいことばから

 たくさん話しかけましょう

 ことばは為すことによって学ぶ

 聞きじょうずなおかあさんに

 こどもの興味にあわせましょう

 チャンスをのがさずよいほめ方で

 「それまちがった」は禁物

 ことばの荷物を背負わせない

 無理になおそうとあせらない


ことばの衛生10か条

01
第1条 おしゃべりな子に

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 おしゃべりな子とは話し好きな子です。テレビの主題歌やコマーシャルを覚えては口ずさむとか、絵をかいては自分なりに説明をつけてお母さんに話して聞かせるとか、楽しくすすんで話しをする子にしてほしいのです。

 無口が美徳とされることもありますが、こと子どものことばの発達に関する限りそうとばかりは言えないようです。特に質問や報告などまわりの人への働きかが盛んになる3〜4歳ごろは、この素地を作る重要な時期です。

 おしゃべりな子にする条件は、これから述べる10か条とも深い関係がありますが、特に「意欲自信必要感をもたせること」の3つにしぼることができます。大人の社会では話しをせずにはすまないから言葉が必要なわけですが、子どもの世界ではややもすると、話さずとも自分の目的を達せられるような便利なお母さんがいてくれます。世にいう過保護はその最たるものでしょう。これでは子どもはいつまでもカタコトや幼児語で満足して、発達は遅れてしまいます。言葉は使わなくては身につかないことを銘記すべきです。

 でも言葉が必要な場面を与えるだけでは不足です。そのうえに興味に引き起こされる意欲や成功感に伴う自信と言ったものが加味されて、ことばはすくすくと育っていきます。そのためには話しやすい場面をたくさん用意してあげることが肝心です。

 家族の団らん・親子の遊び・かるた・すごろく・指人形遊びなどの遊びの場は、子どもにとって大変話しやすい場面です。

 また家庭内だけにとらわれずに、友達と遊ばせたり一緒に外出したりして、新しい経験をさせることも興味や意欲をたかめる手だての一つです。友達とのやりとりはお母さんの手助けのない意思表示の場となり、広い経験は話す機会や材料をふやし、それによって言葉の数もだんだんと増えていきます。

 このような 場面の中で、子どもの話しかけに対して優しく応答するお母さんの心遣いがあれば、子どもは話し方についての注意を受ける心配もなく、のびのびとおしゃべりに興ずるでしょう。それは必ず満足感や成功感を味わわせ、話すことへの新しい意欲や自信となっていきます。

 言葉がおかしいからなるべく人前で目立たないようにと考えるのではなく、間違いでもでたらめでもいい、話し好きな子に育てましょう。

01
第2条 よいお手本は正しい言葉から

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 美しくひびくうぐいすの声も、よく聞いてみると、同じ谷にすむうぐいすは不思議と皆同じ調子の鳴き方をしていると言われます。他の谷に住むうぐいすと比べて、メロディーや声ののばし方に特徴があるそうです。

 谷によってうぐいすの鳴き方に違いがあるなんて面白い現象ですが、きっとヒナのころから母鳥や仲間の声を聞いているうちに、自然と同じような鳴き方を身につけたものでしょう。

 なんと人間の世界に似ているものかと驚かされます。なぜなら、私たちも全く同じようにして言葉を覚えていくからです。

 今までたびたび言葉は習って覚えるものと述べましたが、それはうぐいすと同じように、お母さんが話しかける言葉を赤ちゃんが真似することから始まるのです。お母さんのしゃべり方、発音の仕方、口の動かし方のすべてをそのままそっくり真似しているわけです。

 したがって、ふつう満1歳前後から意味ある言葉が出てきますが、それよりもずっと以前から言葉の学習は始まっていることを頭におき、赤ちゃんが生まれたらすぐからお母さんは正しい言葉の手本を示してやらねばなりません。

 でもここで手本というのは、うぐいすのような美しい声でと言うのではなく、子どもにわかりやすくと言う意味です。

 よいお手本の一般的条件としては・母子ともなごやかな気分のもとで・子どものそばで・口の形が見えるようにして・はっきりと・早口にならぬようになどが、日常大切なこととしてあげられます。

 もしお母さんが小さい声や早口で話しかけていると、子どもは聞き取れないために間違って発音したり、意味と言葉が結びつかなくて言葉の発達が遅れたり、早口がそのまま移ったりすることがあります。「うちの子は言葉がはっきりしなくて」とか「乱暴な言葉が多くて」とこぼしている場合も、案外言葉のお手本の方に欠陥があったりします。

 お母さんが日頃乱暴な言葉を使っていて、子どもにだけよい言葉を望むのはとうてい無理なのです。

 しかし正しい言葉と言うことに意識を向けすぎて、発音ノイローゼになったり、方言やなまりを無理に直そうとする必要はありません。方言もその地方では立派な共通語ですから。

 またワンワン、ブーブーなどの幼児語と言われる言葉もやかましく矯正しないで「ワンワンどれ、ああイヌね。かわいいイヌね。どこのイヌかしら」正しい言葉を聞かせていくようにしましょう。

01
第3条 たくさん話しかけましょう

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 「まかぬ種ははえぬ」という諺がありますが、ことばも与えなくては育ちません。まずお母さんの方からたくさん話しかけることが先決です。

 言葉の発達の過程は、よく「コップの水」にたとえられます。コップの水が外へあふれ出るためには、あふれ出るだけの水を一方から注いでやらねばなりません。注ぎ込まれた水は次第にコップいっぱいになり、少しずつ外へこぼれ出すでしょう。

 同じように言葉も、空っぽの赤ちゃんの頭の中へ少しずつ蓄えられていっぱいとなり、それが話し言葉となって外へあふれ出ると考えてください。注ぎ込む水に当たるのが話しかけですから、たくさん話しかければそれだけ早く、そしてたくさんあふれ出ることになります。話しかける量が少ないほど言葉の発達は遅れるのです。

 このことは第2章アヴェロンの野生児の例でも明らかです。家事に忙しいとか勤めのために子どもの面倒をみる暇がないというのでは、子どもを言葉の無い世界に閉じこめるようなものです。少しでも子どもに接する時間を多くつくり、歌をうたって聞かせたり絵本を見ながら話しかけてやりましょう。子どもの興味あるものを、子どもが関心を示すときにどんどん聞かせてあげることです。

 また言葉の量だけでなく、同じ言葉を何回も聞かせる配慮も必要です。子どもから「この黒いのなに」と訊ねられ、「タドン」だと教えていたら、遊びから帰ってきた子どもがカラスのことを「おかあさん、あのね、外で『タドン』が柿食べていたよ」と告げたという笑えない話しがあります。

 このように言葉は、一度聞いたぐらいではなかなか覚えられないものなのです。何回も繰り返し聞くうちに、言葉と物とが結びついていきます

 耳や言葉に問題があれば、なおさらたくさん、繰り返し話しかけてやらねばなりません。「これおはしよ、わかった」ではなく、「さあご飯ですよ。お箸がいるね。はいこれはパパのお箸、ママのお箸、僕のお箸」と言うように話しかけてみましょう。この話しかけの中には、教えられていると言うことを意識させないで繰り返し聞かせることや、関心があるときに話しかけるという好ましい条件を含んでいるよい例です。

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第4条 ことばは為すことによって学ぶ

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 子どもの言葉を発達させるためには、言葉を耳から聞かせるだけでなく、見る・触れる・味わう・におうなど五感を通した体験をさせることも大事なことです。直接的な経験は強い印象となって記憶にとどめられ、言葉の理解を容易にするのです。

 子どもは色々な物の特徴を身体で感じ取って、言葉を理解すると言ってもよいでしょう。たとえば

・話しで聞く象よりも絵本やテレビで見る方がわかりやすいし、それよりも動物園でじかに見る象の方が、「こわい、大きい」ということまで実感としてつかむでしょう。

・雨が降る日に外に出かけてみて、ザーザーと傘に当たる雨の音、ピチャピチャと鳴る雨靴の音、ポタポタ落ちる雨垂れの音などたくさんの音に気づくでしょう。

・お風呂に入りながら、熱さやぬるさを肌で感じ、アイスクリームを食べながら、冷たさや柔らかさを感じるでしょう。

・レモンをかじってその酸っぱいことや、ミルクを飲んでその臭いを知るでしょう。

 これらの体験を通して、お母さんから聞かされる「大きい」「熱い」「すっぱい」などという言葉が結びついていくのです。

 難聴の子どもを持つお母さんが、その手記の中で「子どもは知らない、風にも雨にも音があることを。でもまだ手の平で、心で聞くことが残されている」と叫んでいます。

 確かにことばの習得のうえで、耳は欠かせないものです。しかしその耳もつきつめると心の動きの問題なのです。手の平で、心で聞くということは、とりもなおさず体験することにほかなりません。聞くという心の働きはこのような全身的な経験にうらづけられてこそ、身につくことを忘れてはなりません。

 なお幅広い経験をさせることは、お母さんと子どもとの語り合いのための大切な素材を、数限りなく提供してくれる泉でもあります。

「為すことによって学び、行動を通して思考せよ」と言った学者がいますが、言葉の学習についても、本当に大切なことだと思います。

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第5条 聞き上手なお母さんに

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 子どものおしゃべりをじゅうぶん聞いてあげることです。赤ちゃんの泣き声にすぐ反応を示してやったように、おしゃべりにもいつも耳を傾けて話しがはずむように相手をしてやってください。子どもから見れば「言葉でお母さんを動かすことが出来る」わけですから、こんな楽しいことはありません。

 2〜3歳になると「これなに」「どうして」とうるさいほどにたずねるようになりますが、これは言葉を覚えようとする意欲の現れです。また一方では言葉の遊びをやっているのです。「テレビはどうして映るの」と聞かれると、教えたってわかるはずがないと思って、いきおい「映るから映るのよ。うるさいわね」となりますが、実は子どもはお母さんに話し相手をしてもらうのがねらいなのです。

 また口を動かしてペチャクチャ喋ること自体が楽しいのですから、それをわきまえて話しが続くような受け答えをしてやらねばなりません。

 なお言葉を話すようになったからと言っても、子どもは大人ほど自由には表現できませんから、「えーとえーとね。三つねたとき、きのう、うんとあしたね。これもらったの」などと、たどたどしく訳の分からないことが多いものです。

 そんな時、たとえつまらない内容や誤った発音であっても、過度な注文をつけたり無視したりしないでください。話し終えるまでじっと聞いてやり、「そうよかったね。誰がくれたの。どうしてかしら」と興味を示して話しを促してやります。

 こんな簡単な心遣いが子どもの言葉を発達させるもとになるのです。子どもの言いたいことを自由に言えるようにこちらから誘い出して、「もっと話したい」という気持ちに持っていくのが聞き上手です。

 おしゃべりなくせに、人の話を聞くのが下手なお母さんでは困ります。子どもの夢や希望を優しく受け止めてくれるお母さん、そして家中が誰の話にも耳を傾ける雰囲気をつくっていきたいものです。それは子ども自身を聞き上手にさせることにもなり、社会性を養うことにもなります。

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第6条 子どもの興味にあわせましょう

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 興味は言葉の学習のうえで、最も大切な要因であるといっても過言ではありません。

 デューイは「経験と教育」の中で「興味は物事に積極的に働きかけるもとであり、教育はまず学習者に興味を持たせることから始めよ」と言っています。興味が存在しない学習は成立不可能でないとしても、その効果はあまり期待できないでしょう。

 子どもに興味や関心を引き起こさせるためには、前にも述べた広い豊かな経験を与えることが一つの方法ですが、経験を与えさえすれば言葉が育つと考えるのは誤りです。ことばの興味は、おもしろく楽しい雰囲気の中で生まれるのです。それには場面や、内容などを組み合わせる工夫が必要です。

 聞かせたり話し合う材料や内容は、今そこにあるもの・見えるもの・今やっていること・子どもの能力にあったものから始めることが子どもの興味を引く、コツです。できるだけ具体的なこと、身近なものに限りましょう。

 自分の生活範囲からかけ離れるほど、抽象的になるほどわからなのが子どもです。また目新しい経験をせっかく用意しても、子どもが関心を示さないときに無理に押しつけたりするといやがってしゃべる意欲をなくします。

 たとえば外出しても「ほらバスがきた・犬がいる・電車が見える」とのべつまくなしに聞かせていると、子どもはきょろきょろと落ち着かずうるさがります。動物園やデパートでも同じです。そんなときはゆっくり見せておきましょう。そして子どもが珍しがって見入ったりほしがったり質問したりする時をねらって話しかけることです。

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第7条 チャンスを逃さずよいほめ方で

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 「叱るよりほめよ」です。大人になってもやはりほめられるのは嬉しいものです。では言葉の場合ほめるというのはどんなことでしょうか。「言葉のことで誉められることなんてありません」と言われるかもしれません。

 でもそれは、お母さんが言葉の評価基準をどこにおくかによって、変わってくるのです。大人と同じような言いまわしや話し方を基準にしていたら、誉めることはないと言うことになります。

 思い切って、言葉の評価基準を変えることです。

 話し方の上手下手に限定せず、話す意欲とか、気分に対しても誉めることは出来ます。たとえ話し方がたどたどしくても、自分の体験を言葉で表現できたら大いに認めてやりましょう。赤ちゃんが初めて「パパ」と言ったとき、みんなが赤ちゃんを囲んで大喜びするでしょう。たとえ「パパがパーパー」であったとしても。このような気持ちでいつも子どもに対処することが、子どもにとって大きな励ましとなるのです。

 では、どんな誉め方があるのでしょう。

 ・一つでも言葉を記解したり、使えたらその時、必ず認めてあげる
 ・言葉以外で得意なものを発見したら、その場で誉めてあげる
 ・誉めるときは口先だけでなく愛情を込めて、頭をなでたり、抱っこなどしてあげる
 ・おおげさ過ぎる誉め方や「よく言えたからもう一度」は避ける

 お母さんが、このような誉め方をすることによって、子どもは話す意欲を高め、自信を持つようになるのです。オヤツや、ワイロだけが誉めてやることではありません。誉める方法は無限にあります。

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第8条 「それまちがった」は禁物

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 人前を通るとき、みんなが自分を注目しているのではないかと、気にしだすと何となく足がぎこちなくなり歩きにくいと感じた経験はありませんか。

 普段私たちは、歩き方など気にならず調子よく歩いていますが「格好よく歩こう」などと、ちょっと気にしただけで足が棒のように硬くなります。子どもも同じで、行動などの練習に「ろうかを歩くように普通の歩き方で歩きなさい」と指示しても、いつもより大股で歩いたり、右手と右足を同時に前に出して歩いたりすることがよくあります。

 子どもの言葉に関して、注意をしてはいけない理由もここにあるのです。言葉がおかしいことに気づくと、お母さんとしてはどうしても正しい言葉で言わせようと厳しい注意を繰り返しがちですが、それは本人に言葉がおかしいことを意識させることになり、正しく言おうと気にすればするほど言えなくなるのです。

 子どもにしてみれば、口の動かし方や聞き分ける能力などが未発達だからうまく言えないだけなのに、それをいちいち注意されたのでは無実の罪をきせられたも同じです。

 結果として子どもは反抗期になったり、気にしすぎて○るようになったり、「しゃべると叱られるからしゃべらない方が得だ」と考えて、しゃべることから逃げだそうとしてしまいます。「注意」は「指導」ではないのです。音を聞き分けるための遊びを工夫したりすることこそ真の指導です。

 言葉の問題はいくら注文を繰り返しても決してなおるものではありません。お母さんがよくやる注意として、「おたあさんじゃないでしょう、おかあさんでしょう、もう一度おっしゃい」があります。また、はっきり言ってごらん・大きな声で言ってごらん・早く言いなさい・自分で直そうとしないから・意識しないから・ゆっくり言ってごらん・息を吸って言ってごらん・途中でたまりかねて「もういいよ、わかったよ」と言う・「かわいそうに」といつも本人の前で言うなど、それ間違ったに類する取り扱いがなんと多いことかと驚かされます。

 この様な注意や扱い方は、言葉の面だけにとどまらずもっと深い心の傷になると、言葉を使うことに恐怖さえ感ずるようになり、人間的な成長にも悪い影響を与える結果となりかねません。言葉がつっかえたり、発音がはっきりしなかったりするのは、子どものころだれもが一度は通っていく道なのです。注意や悪い扱い方によって、わざわざ病気に追いやるような過ちは絶対に避けねばなりません。

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第9条 ことばの荷物を背負わせない

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 今まで注意を与えることの有害さについて述べましたが、ここでは注意でなくても、子どもにつらい思いをさせる場合についてお話しましょう。

 過保護も注意もダメとなると、残るは励ましをと考えたくなりますが、実はこの励ましも気をつけねばなりません。

 誉めて励ますのだったら大いに結構なことですが、「あなたがたよりなのよ」式の励ましは困ります。教育ママに鍛えられたエリートコース志望型の子どもなら、親の見はてぬ夢の犠牲となりながらも耐えていくことでしょう。

 しかし耳や言葉に問題をもつ子どもにとっては、それは過酷すぎることなのです。そのことを気にし神経過敏になっている子どもたちもいるのです。過ぎた期待や努力の強制は場合によってはたえきれない重圧としてのしかかります。例えば

 ・早く上手に言えるようにならないと幼稚園に行けないわよ
 ・おかあさんは恥ずかしくて買い物にも行けないわ
 ・あなたは長男だから、しっかりしてくれなくちゃ
などと、子どもにはどうしょうもないことを口走ってはいませんか。

 子どもに何の責任があるのでしょう。子どもは子どもなりに努力しているのです。好きでそうなったわけではないのに、毎日こんなことをくり返し言われたら、子どもはお母さんに心配をかけているというとがめから、反発も出来ずみじめな気持ちに落ち込んでいくことでしょう。励ましが子どもに対する罰となっては、お母さんの気持も水の泡です。子どもの見方を変えて、肩の重荷を軽くするように努めてください。

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第10条 無理になおそうとあせらない

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 耳や言葉の問題の個人差ほど大きいものはありません。似たような症状でも、同じ方法でなおらなかったり長期にわたる子どももいます。また同じ聴力損失の度合いであっても、言葉の理解となると千差万別です。

 言葉がおかしいと気づいたら、すぐ専門家に相談することが一番ですが、その時からお母さんは、もう他の子どもと比較することをやめてください。それはさらにあせりを感じさせるだけです。自分の子どもの発達程度や能力に合った、子どものペースで進むことです。それに学校や治療教室にやったから、すぐに言葉の問題が解決すると過信したり、放任したりしては効果は上がりません

 また治療教師(専門家)の技術をまねて、家庭で特別な治療をやっても言葉の表面をいじくりまわす限り危険です。

 「子どもを変えるより、自分が変われ」という気持で、家庭を再度見直してみると、親を中心とした環境を整えることがたくさん残されていることに気づくでしょう。山登りのように一歩一歩頂上を目指して進めば、かならず明るい見通しがあるものと信じてください。それのみが原動力なのです。

「母親への提言」〜耳や言葉に問題をもつ子の〜
青葉図書/井原英二編著

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